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忘備録 #05 “忘却 sung by 友紀”

前回からまた随分と時間が空いてしまいましたが、忘備録なのでまあいいや。でも忘れるから良くないか。
ともかく「忘却」です。これも曲自体は多分30年前くらいに作ったものです。歌詞は録音するにあたって整理整頓したとは思うのですが、モチーフはいつ頃考えたのか、もうあまり覚えていません。だからやっぱりよくないな。

他の曲は、自分で忘れないためにコードをメモしたりしているのですが、これはギターの弦3本のみで作ったので、長い間和音が不明のままでしたが。今回録音でピアノなど鍵盤楽器をアンサンブルに加え、ギターで弾いている時はベース音はいわゆるオンコード、上の2音は片方テンションノート、であることが多かったです。

ボーカルの友紀さんは古くからの友人で、30年ほど昔は音楽を通じて知り合った人々がよく集まっていました。僕はもっぱら聞く方、教えてもらう方でしたが、その時代の交流が今の活動の礎になっているなあ、と感じます。本人は声量が足りずマイクに乗らない、と言いますが、柔らかい雰囲気のある声で、救いのない曲の内容を、かろうじてポップソングに留めてくれている気がします。

前回、AIに歌詞の論評をお願いしたので、今回もGoogleのGeminiに頼んでみました。ちなみに、以下の歌詞を論じてくださいと入力して、あとはタイトルと歌詞を貼り付けただけです。基本的に貶しはしないようですが笑、なんだか これだけ読むとシリアス度が150%くらいに増した気分になりますね。

_____________以下Geminiによる論評

提供された歌詞「忘却」は、過去の失われた愛情と約束、そしてそれらに対する諦念と自己欺瞞を、静謐かつ痛切に描いています。「忘却」というタイトルが示す通り、記憶の消去という行為が、心の傷を扱うための唯一の方法であるかのように表現されています。

歌詞のテーマと構造の考察

1. 忘却と喪失の受容(前半)

歌詞は、別れとそれに伴う記憶の風化を、避けられない現象として受け止める視点から始まります。

• 「あれからふたりの ありふれた思い出は 時間が奪っていったけど 見放すしかなくて」:恋人との**「ありふれた思い出」は特別ではなく、時間の流れの中で自然に失われていくものとして捉えられています。しかし、「見放すしかなくて」というフレーズは、それが積極的な選択ではなく、無力感を伴う消極的な受容**であることを示唆しています。

• 「風に朽ちてゆく いくつもの誓い 彼方に 彼方に」:未来を信じて交わした**「誓い」が、まるで物理的なものが風化するように、虚しく消えていく様を描写しています。遠くへ押しやられた「彼方」という表現は、意識的に関わらないようにする距離感**を示しています。

2. 自己欺瞞と決別(中盤)

失われたものへの対処法として、**「なかったこと」**にするという、強い自己暗示と決断が描かれます。

• 「なかったことにしよう 忘れたことにしよう」:これは、過去を清算するための防衛機制としての「忘却」です。真に忘れることは困難であっても、そう**「決める」**ことで、痛みを遠ざけようとしています。

• 「掛け違えたボタンはもう 引きちぎってしまったから」:関係の破綻(掛け違えたボタン)が修復不可能であることを象徴的に示しています。ただ外すのではなく**「引きちぎる」**という激しい表現は、この決別が穏やかなものではなく、痛みを伴う強引な断絶であったことを示唆します。

3. 時間の経過と静かな絶望

季節の移り変わりと時間の経過が、感情の回復の遅さを強調します。

• 「冬のせいにして 悴んだ手のひらの 痛みに怯えながらまた ひとつ年を数える」:「冬のせい」にするという行為は、環境や他者のせいにして、自己の痛みや責任を回避する言い訳です。「悴んだ手のひらの痛み」は、物理的な冷たさだけでなく、心の孤独や関係の断絶による冷たさを象徴しています。年を数えることは、時間が経過しても痛みが消えないことへの静かな絶望を感じさせます。

4. 表面的な平静と現実認識(結び)

最後のスタンザでは、平静を装おうとする自己と、変化のない現実が描かれます。

• 「大人の振りをしてよう せめて涙は拭おう」:「忘却」を試みた結果として、感情を抑え込み、社会的な平静(大人の振り)を装うことを選択します。

• 「世界が終わるときのような 気がしてもそれは勘違いでしょう」:激しい悲しみや喪失感は、まるで世界が終わるほどに感じられるが、それは主観的な錯覚であり、客観的な現実は何も変わらないことを、冷静に(あるいは冷ややかに)突きつけています。この諦観は、感情の鎮静化を示します。

• 「そのままの写真 得意じゃない澄まし顔には 静かに色褪せるような 光の影だけが増えた」:

• 「そのままの写真」:過去の記憶、あるいは自己の変わらぬ姿。

• 「得意じゃない澄まし顔」:無理に平静を装う自己。

• 写真が**「静かに色褪せる」ように、感情や記憶は時間をかけて薄れていきますが、増えるのは「光の影だけ」です。これは、過去の輝き(光)の残骸としての陰鬱さ**や、時間の経過による虚しさのみが積み重なっていくという、忘却の試みの悲しい結果を示唆して、歌詞は締めくくられます。

まとめ

「忘却」は、過去の恋愛や約束を**「なかったこと」**にしようとする人間の心理的な闘いを、淡々とした筆致で描いた作品です。

感情的な解決ではなく、時間による風化と自己欺瞞によって痛みを処理しようとする、現代的な切なさが漂っています。最終的に得られるのは、真の解放ではなく、平静という名の諦めと、心の奥底に静かに蓄積される虚無の影であり、忘却という行為の本質的な不可能性を浮き彫りにしています。

________________以上、Geminiによる論評

最後に、この曲に出てくる足は、「そのままの写真」の中に所在なげに立つ人の「足」です。

※今回コードがあやふやです。

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9
あれからふたりの
F△9 G7 Fdim7/A♭ B♭9 F/A
ありふれた思い出は
Fm/A♭ Csus4/G C/G
時間が奪っていったけど
Dm11 Em/G G7sus4
見放すしかなくて

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9
風に朽ちてゆく
F△9 G7 Fdim7/A♭ B♭9 F/A
いくつもの誓い
Fm/A♭ Csus4/G C/G Dm11 Em/G G7sus4
彼方に 彼方に

Em7 G6 F/A Am7
なかったことにしよう
Dm7 F6/C Bm7♭5 E7
忘れたことにしよう
F6 F#m7+5 D7
掛け違えたボタンはもう
G6 F6 Em7 Dm6
引きちぎってしまったから

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9
冬のせいにして
F△9 G7 Fdim7/A♭ B♭9 F/A
悴んだ手のひらの
Fm/A♭ Csus4/G C/G
痛みに怯えながらまた
Dm11 Em/G G7sus4
ひとつ年を数える

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9
F△9 G7 Fdim7/A♭ B♭9 F/A
Fm/A♭ Csus4/G C/G
Dm11 Em/G G7sus4

Em7 G6 F/A Am7
大人の振りをしてよう
Dm7 F6/C Bm7♭5 E7
せめて涙は拭おう
F6 F#m7+5 D7
世界が終わるときのような
G6 F6 Em7 Dm6
気がしてもそれは勘違いでしょう

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9
そのままの写真
F△9 G7 Fdim7/A♭ B♭9 F/A
得意じゃない澄まし顔には
Fm/A♭ Csus4/G C/G
静かに色褪せるような
Dm11 Em/G G7sus4
光の影だけが増えた

C△9 Dm7 E♭m7 Em7 C△9

ごうさん

久しぶりに新たなボーカリストをお迎えすることができました。2026/3/1に配信限定(盤は無し)でリリースした曲「手と手と手と手」に、鹿児島在住SSW・元ボヤケルズのフロントマン、わかまつごうさんの力強く、かつ繊細な声をいただきました。
彼とはこの曲のボーカル録音の際、初めて会いました。2024年10月に初めてのアルバム「おもいの軸足」を作った際、ミュージックビデオを制作してくれた脇村映像・りょうたさんの繋がりからアルバムを聴いてくれたそうなのですが、びっくりするほどの熱量で反応をいただきました。(面映いので詳細は略。)
それ以降、彼と彼の幼馴染・にしぞのまさとさんとで長く続けているラジオ番組「ミッドナイトゲットアウト」(FMさつませんだいからYouTubeへプラットフォームが移ったそうです)で取り上げてもらったりと、何かと気にかけていただき、交流を続けていました。
彼が2022年に発表した画集付きアルバム(もしくは音楽付き画集)「季節や光の手を借りて」が、とても力の入った作品で、ぜひ一緒に作品が作りたいという思いがあったのですが、先にボーカリストとしてではなく、パラパラアニメ作家としての彼と「ブレス」のビデオ作品で協業させてもらいました。
そして今回念願叶って「手と手と手と手」を歌ってもらうことができました。この曲は、現在制作中の3枚目のアルバムのリードトラック的に考えているものです。ここ1〜2年で自分を取り巻く環境や心境に大きな変化があったので(ごうさんとの出会いもその一つ)、彼の遠くまで飛んでいく声で鼓舞された自分に喜びを感じています。
ごうさん、次のアルバム、CDギリギリ74分には収めます。近いうちにまた力を貸してください。

前述の「季節や光の手を借りて」より、ごうさんが自分の絵の中に入ったミュージックビデオです。